日本湯島聖堂

ソース:作者: 2024-01-04 14:46

聖堂像(出典:『大哉孔子』P207)

湯島聖堂図(出典:『大哉孔子』P207)

 284年頃、朝鮮半島の百済使節が日本に到着し、『論語』などの儒学経典を伝えた。676年に中国の太学に倣い、日本に大学寮を設立。日本には孔子廟が多く保存されており、現存するのは30カ所以上で、その多くは江戸時代(1603-1867)の遺構であり、多くは中国宋代以降の作りをまねて、孔子廟と学校を一体化にしている。

 湯島聖堂は東京孔子廟で、日本の典型的な孔子廟で、ここには「日本学校教育発祥の地」の石碑が立っている。

 寛永七年(1630)三代将軍徳川家光は朱子学を尊崇する林羅山に聖堂と塾を建立し、林家が教官を世襲するように、儒学で幕府臣下の子弟を教育することを命じ、建立当時は孔子廟と呼ばれていた。元禄三年(1690)五代将軍綱吉は聖堂と塾を湯島に移築し、中国の慣例に従って先聖殿を「大成殿」と改称し、周囲の付属建物を「聖堂」と呼んだ。その後、聖堂は湯島聖堂の中の大成殿を指すようになった。大成院の建物はもともと中国様式を模造し、赤い柱にペンキを塗り、外観は緑色だったが、今回の拡張工事で水戸孔子廟の通りに改築した建物は黒く塗った。大正十一年(1922)湯島聖堂は国家級史跡に指定されている。1923年の関東大震災で徳門と水屋を除いて全焼し、聖堂はいったん破壊されたが、1935年(昭和10年)に伊東忠太が設計し、大林組が施工再建した。1975年に台北ライオンズクラブより贈る世界最大の孔子像がここに安置された。ここには孔子のほかに、孔子の四人の高足(顔子、曽子、子思、孟子)の像を安置して祭祀されていた。

  元は東学西廟の形制で、今では廟だけが存在している。毎年4月の第4日曜日に祭祀が行われ、廟に祀られている孔子銅像は明朝の学者・朱舜水に贈られたものと言われ、非常に貴重である。

編集:董丽娜

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