インドネシア・スラバヤ文廟

ソース:作者: 2024-01-04 14:55

文廟院内(出典:ネットワーク)

 清・乾隆年間、儒学はインドネシアに伝播した。1729年、明成書院が設立され、教育が主だったが、廟学合一の性質があった。インドネシアは南洋諸国の中で最初に孔子を祭る建物を建てた国とも言える。ジャワ島では、3つの寺院が孔子を祭る活動と関係がある:1つはスラバヤの文廟、2つ目はジャカルタ・タナ地区の観音堂:3つ目はスマランの大覚寺。

 19世紀末、孔子の誕生を祝い、孔廟を建てる最盛期の中で、スラバヤの文昌祠は孔子廟に変更され、現在は孔夫子堂に改称されている。孔を祭るための廟で、建物は中国・南地方の風格により建てられ、その中で孔夫子堂内には孔子と七十二賢人が祀られている。1904年、康有為は参拝に参り、堂々たる廟を称賛しながら、奥地に偏っていることを残念に思って、廟を通り側に移すことを提案した。1906年、文廟の管理者はカピタン鄭泰興を動員して文廟前の通りに面した6棟の家屋を撤去し、寄付により文廟を新築し、原文昌祠を学校に変え、その後に中華会館に変えた。竣工後、東南アジア最大の「文廟」となり、廟内には古書だけでなく、すでにインドネシア語に翻訳された『四書』、『易経』、『書経』などの書籍が納められている。

 現存する文廟はとても美しく、豪華に建てられ、お参りが盛んでおり、内堂には清・光緒御筆の「声教南曁」の扁額が掲げられ、孔子の立ち塑像も祀られている。文廟の教徒は定期的に道の思想の宣伝や経書の学習などの活動を行い、当地の中国系住民の伝統的な祝日、孔子の誕生日に祭孔式と各種の慈善、救済などの活動を行う。

編集:董丽娜

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